微粒子企業の身の丈ご機嫌ビジネス

【毎日配信】税理士の視点から見る経営や税務のことを書かせていただいています(^^)

他人は変えれないから、自分が変わる。

 

昨日はセミナーの準備で一日家庭に背を向けていたため、今日は汚名挽回(!)で、家族で太宰府天満宮に出かけました。
「なんとなく、太宰府行きた~い。」という妻の軽い発言を真摯に受け止めざるを得ない私は、太宰府に行く準備をせっせと進めます。

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太宰府までの移動は電車なのですが、その電車での出来事。


私たち親子は、妊婦の妻が下の子を抱え、私が長女の手を引き、もう一方でベビーカーを押すという、なんとまぁ地獄絵図(?)のような奮闘模様。
その私たちが車内に乗り込むのを尻目に、高校男児三人が我先に!という勢いで、優先席にすごい勢いで座ったのです。
私たちはその向かいのベビーカー専用の場所に立ちましたが、妊婦の妻だけは座らせたかったわけです。


その瞬間は、「えっ!?」っと衝撃を受けたわけですが、私も妻も何も言うわけではなく、「向こうの車両行って座るね~」と妻はそそくさとその場を離れました。
私もそれから何を思うわけでなく、ベビーカースペースに長女とともに一緒にいた、という感じ。
ちらっと周りの人を見ると、高校生たちへの冷たい視線・・・こちらの方が凍りそうでした。
以前の私ならムッと来ていたかもしれませんが、いろんな意識高い人と会い続ける中で、怒ること自体がまれな状態になっています。
妻も同じような感じで、そもそも何も感じていなかったんじゃないかと思います。(その話自体をしていませんから・・・)

 

おそらく、「他人は変えることができない」ということを自分で悟っているのではないでしょうか?
自分のことに疑問形は無責任ですが(汗)


他人を変えられないのに、他人に注意をしたり、他人に腹を立てたりすることは、なんとも心の無駄遣いだと私は思っています。

他人を変えられないのであれば、そんなことで怒ってしまう自分を変えるしかないですよね。
でも今の自分は、なんとかそうなれてる気がするなぁ、ということを、周りから高校生に注がれる冷たい視線によって改めて感じました。

 

他人に対して必要以上に感情的になることはありませんか?
きっと大半の場合、それは心の無駄遣い。
いいことなんて一つもないと私は思います。

 

とりあえず自分を変えましょう。(難しいことですが・・・)
まずはそこからがスタートではないかと思ってなりません。