価値観の変遷
仕事が終わり、慌てて地下鉄へ。
地下鉄を降りて大速足で歩く。
今この瞬間にこの場所で競歩が行われているとしたならば、ダントツで優勝だろう。
なんとか時間にギリギリについて、店内へ。
平日にこのスケジュールはかなり無理があった。
でも、とっても癒される場所。
同じ保育園に通う保護者がやっているこの美容院。
なんというか、空気感が同じような感じで、とても心地が良い。
もちろん腕もずば抜けて良いのであるが、何より自分と同じ空気感の人と一緒にいる事が本当に気持ちが良い。
髪を切ってもらいながら、自分たちが子供の頃や学生時代、今の状況についての話になった。
美容師としての仕事柄、お客様の髪を切りアレンジしていくわけであるが、昔と今とではすっかり感性が変わってしまったとのことだった。
昔はこの髪型がイケてる!と思っていたものが、今その髪型を目の前にすると、すごくダサく感じる。
昔も今も、奇抜な感じが好きだそうだが、今は昔と違い「奇抜の基準」が変わったとおっしゃっていた。
奇抜の基準という言葉自体は、すごく新鮮で斬新ではあったが、何となくわかる気がした。
人は、長い年月をかけながら、いろんな人やいろんなモノに出会い、その時々でいろんなことを感じていく。
その中で自分の感性がいろんな方向に変わっていくのだろう。
自分の感性を信じることは大切ではあるのだろうが、違うものに触れ感性を磨いていくという事もすごく大事なように思う。
多くの人と交われば、自分とは違った視点に触れることができ、そこからいろいろなアイデアや発想が生まれてくるものである。
忙しい人ほど、時間をうまく使い、美術館に出かけたり、いろんな人に会ったり、いろんなものに触れたりする時間を大切にしているということはよく聞く話。
そのような時間は、一見無駄なように見えて、実はすごく大事な時間なのである。
私自身も、無理をしてでもそういう時間を作ろうとしている。
私がよく言うことであるが、ビジネスを考える上で今の自分考えが、自分の業界の切り離された狭い枠の中に納まってしまってはいないだろうか?
変わりゆくこの時代に、おそらく自分の業界の「常識」にとらわれていることは極めて危険である。
常に柔軟な発想を持ち、常に何かよい方向に変われることはないかと思索していくことこそが、これからの時代を生き抜くことができる決め手になるであろう。