坂爪圭吾さんのお話会より・・・『打算か愛情か。』
濁った水には
誰も浸かりたくないだろうし、
濁った水自身も、
自分自身が濁っていることに
気持ち悪さを覚えているのでは
ないだろうか?
逆に
濁りなくキレイな水には
ずっと浸っていたいし、
濁りない水自身も
きっと自分自身が心地よいのでは
ないだろうか?
坂爪圭吾さんのお話会。
「結局、人は結婚する時、
打算か愛情かで決めている」
そんなお話があった。
少しでも、
自分の気持ちに偽りがあれば、
それは濁っているということ。
『彼女ももう年頃だし、結婚しないとな』
これは、愛情があるにしても、
結局は濁っているように思う。
打算か愛情か。
ここでいう
愛情は
純度100%の濁り一つない状態のこと。
そんな風に受け取れた。
純度が100%でないと、
自分自身が気持ち悪いはずだし、
そんな状態で、
誰も愛することはできないだろう。
もし愛しているつもりだとしても。
簡単なようで意外とできていない。
これは、私が坂爪圭吾さんのお話会で
坂爪さんに質問したことだが、
「前までは、
子どもの面倒を見ながら、
仕事の心配をしていて、
70%位しか子どもと向き合えてなかった。
そして仕事も同じく70%の力でしか
向き合えてなかった。
そのことを子どもは敏感に感じていて、
嫌な気持ちに。
嫌な気持ちのまま過ごすことなんてできず、
親である私の言う通りに動いてくれないため、
なんか私がイライラ・・・
でも、
これを子どもといる時間は100%子どもに
意識を向けることにした。
そして、仕事の時間もまた100%集中してやるように
試みた。
すると、
不思議と子どもがニコニコして、
家庭が明るくなったし、
私も全力で子どもと同じ視点にいるので、
何が起こっても笑って見ていられる。
そして、仕事の効率も増した。
・・・これでいいんでしょうか?」
と質問。
坂爪圭吾さん「答え、出てるじゃないですか。」
会場は爆笑の渦包まれたわけだが、
私は話しながら、
この100%の行動を取っていることに
対する正しさを知ることができた。
打算か愛情か。
突き詰めると、
何かを決める時、
全てはここに落ち着く。
仕事にしても、
お客様のことを100%想い、
全力で取り組めているか。
もし100%取り組めないとしたら、
それはなんでだろう?
もしかしたら、
お客様と自分の温度感が合っていない
のかもしれない。
もしかしたら、
その仕事自身に愛を持っていないのかもしれない。
少しでも
気持ちに濁りがあるとすれば、
それは打算となる。
自分がどうありたいか。
私は、
どう考えても純度100%の
濁りなき水でいたい。
少しでも打算的なことを考えると、
気持ちが落ち着かないし、
態度にも表れる。
相手もそれを察知して
きっと嫌な気持ちになるだろう。
打算か愛情か。
何か迷いが出てきたとき、
その想いに濁りはないか?
純度100%か?
そんな当たり前のあるべきことを、
一つひとつしっかり考えて
動いてみたいと思う。